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2023.01.13

星占い師の占いレポート 2023 ~その3~ 徳川家康

今回はいつもと趣向を変えて、今年の大河ドラマになっている徳川家康を星占いで見てみようと思います。あくまでも星の位置だけで見ているので、実際とは違うところもあるかもしれません。

 

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徳川家康が生まれた日は天文11年12月26日なので、グレゴリオ暦に直すと(このころの西暦はユリウス暦ですが、現在の星占いで星の位置を正確に見るために現在の西暦であるグレゴリオ暦に直します)1543年2月10日になります。

水瓶座の太陽に冥王星とドラゴン・ヘッドが重なり、海王星に支えられています。太陽と冥王星が重なると、非常事態に強いところがあります。と言うより、非常事態にならないと本来のこの人の強さが出てこない人であり、普通の生活をしていると平凡な人に思える人になります。尚、冥王星と海王星が太陽にかかっているとカリスマ的になりやすく、時代を超える人になりやすいところがあります。(余談ですが、太陽に冥王星が重なっている有名人として、大石内蔵助などがいます。また、角度は違いますが、織田信長、豊臣秀吉も太陽に対して冥王星と海王星がコンタクトしています。カリスマの条件の一つです)ドラゴン・ヘッドは人脈であり、この人は父親や男の親族の影響が大きい人で、人脈が多いところがあります。ただし、太陽に対して土星がタイトに損ない、変転の天王星も損なっているので、苦労が多く、と言うよりも苦労から逃れられない人であり、人生に変転が起きやすい人だろうと思います。また、信長ほどではありませんが、かなり合理的なところがあります。この人は太陽と天王星が支配星を入れ替えているので、天王星の影響も大きい人です。つまり、なかなか安定した生活が出来ないところがあります。ただし、本質的には未来的な人であり、かなり民主的で、理性的なところがあります。家庭や感情を表す月は山羊座にあり、保守的で権威的なものが好きですが、月は木星と天王星に支えられているので、人と同じことはしたくない人であり、こだわりが強いところがあります。ただし、古い権威とはいざこざが起きやすい人だろうと思います。それと土星に対して太陽と冥王星が損なっているのは、人生に大きな壁が立ちはだかりやすく、限界突破していかなければならない人だったと思います。また不遇な状況が多く、社会的な地位を得て初めて自分の安心を感じられるところがあります。月に対して木星と天王星の支えは母親とは早くに別れましたが、父親よりむしろ母親の愛情を感じるところが多い人です。

 

織田信長とは、この人の土星が信長の太陽を支えているので、信長に対してかなり長く尽くす人になります。逆に信長の方はこの人を支える星がないので、いつでも切り捨てられる人だったと思います。本能寺の変は、この人の感情を表す月に対して、大きな挫折を表す冥王星が損なっていますが、太陽に対しては木星が重なっているので、この人にとっては織田信長から逃れられたかなり大きな幸運だったと思います。もし、信長が生きていたらこの人の天下人になる芽はなかったと思います。

 

豊臣秀吉とは、秀吉の太陽に対して、この人の火星が重なり、月が損なっているので、感情的には腹の立つ相手であり、悔しい思いをしたかもしれませんが、秀吉の木星はこの人の太陽を支えているので、信長よりも秀吉の方がこの人にとっては大きなチャンスをくれる相手だったと思います。秀吉が天下を取ったことで、この人にチャンスが出来たと言えます。

 

関ケ原の戦いは、この人の太陽に対して冥王星が支えている以外、これと言って支える星がなく、むしろトラブルの火星と混乱や欺瞞の海王星が太陽を損なっているので、視界ゼロの状態で、予想外のトラブルが続出していて、混乱状態の中でこの人の底力が出た戦いだったと思います。けして予想通りではなく、むしろ出たところ勝負の戦いだったのではないかと思います。石田三成の誕生日が分からないので、何とも言えませんが、家康にとってはかなり苦戦した戦いだったと思います。あと2日ぐらいかかっていたら状況が変わっていた可能性があります。

 

この人が保守的に見えるのは後を継いだ息子の秀忠の影響が大きく、この人自体はかなり開けた考え方をする人だったと思います。

 

以上

 

あくまでも星の位置だけのものです。

以上が星占い師としての私の意見です。

 

 

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