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2022.07.09

星占い師の占いレポート 2022 ~コーヒータイム その27~ 離婚といじめ

今回もちょっとコーヒータイムです。少しだけお付き合いください。

 

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私の両親は私が4歳の時に離婚しました。離婚する1年以上前から別居状態で、私は祖母に面倒を見てもらっていました。離婚するとこはすぐに決まったそうですが、離婚条件がお互いになかなか折り合いませんでした。一番、揉めたのが私をどちらが引き取るかでした。父も母もどちらも私を引き取ることを拒否していたのです。姉は小学校に通っていたので、すぐに父が引き取ることが決まりましたが、私は幼かったために面倒を見えないのと、子供は一人で十分だ。と言う父と子どもなんかいらないという母とで、お互いに揉めていたのです。最後に母がお金はいらないから子供もいらない。と言う条件と祖母が面倒を見ても良いということで父が私を引き取ることに決まりました。

 

母との思い出は家から大きな荷物を持って去っていく後ろ姿しか覚えていません。父が亡くなった時、戸籍を見て初めて母の名を知りました。それぐらい母の印象は私にとっては薄いものなのですが、幼い頃から父に『あんな女に似るな』『あんな女に似てしまって…』とさんざん言われてきたので、私には母に似たところがあるのだと思いますが、それがどこなのか自分では良く分かりません。何せ母の記憶がほとんどないのですから。顔は祖母に似たそうです。でも性格は父とは似ていません。

 

父と母が離婚を考えた時に母が私を妊娠していることが分かり、母は私を中絶する気だったそうです。父もそれに反対ではありませんでした。父にとってもどうでもよい存在だったのです。なぜ、私がこの世に生まれてきたかと言えば、父の祖父になる人が、知人に紹介された占い師に見てもらい、その答えが『その子は家のためになる子だから産んだ方が良い』と言うものでした。昔は家が一番大事だったのです。それで父の祖父(私から見たら曾祖父)が母を説得して、私が生まれたのでした。曾祖父は私が生まれてから半年後に亡くなりましたが、もしその占い師の人の言葉がなかったら私はこの世にいません。なので私にとっては占いは軽いものではないのです。

 

父と母が離婚して、私が幼稚園に入った時から、いじめが始まりました。その理由は最初は父と母の離婚の原因が母の無断外泊にあったからです。つまり私は誰の子、と言うもので、最初はただのからかいでした。子供に詳しい話が分かるはずもなく、大人が話しているのを聞いて、無邪気に言っているだけなのです。小学校の低学年の頃には離婚した原因や母の事がほどんど近所や親戚の口から分かりました。私が小学生の頃には帰り道で坂から牛の糞を田んぼの肥料にするために重ねているところに突き落とされ、ドロドロになって帰ったこともありました。段々いじめはエスカレートしてきて、私は頭痛や微熱が出るようになり、食事が食べれなくなりました。そして学校へ通えなくなったのです。最初はただの風邪をこじらせただけと言っていた医者も『風邪がこんなに続くのはおかしい。これは精神から来るものかもしれない』と言い、精神衛生センターを紹介してもらいました。精神衛生センターに言った私は、そこで『祖母に育てられた子は甘やかされて自分の事が他の子と比べて出来ないからいじめに遭うのだ』と言われ、祖母にあまり私をかまわないようにと言いました。私はそれに対して猛烈に違うと思いました。その時に私は人は人だ、自分とは違う。と言うことをはっきり感じました。しかし、父は私の不登校を世間体が悪いと言い、人が普通に通う学校にいけない子供なんて困った子供だ。なんでこんな子がうちの子供なんだろう、と言いました。もちろん学校は何もしてくれません。先生に行っても生徒に注意するぐらいで、その生徒から『なぜ私が悪く言われなくてはならないの。私は何も悪くないのに』と言われました。

 

不登校は一学期続きましたが、それ以上は1年下の学年になると言われ、父がどうしても学校へ通うようにと言い、学校へは通いましたが、遅刻や早退が多く、一人で学校へ通うことが多くなりました。もちろん友達はいません。中学校に入ってもあからさまないじめは減りましたが、私は学校へは馴染めませんでした。私が学校生活が楽しいと思ったのは高校へ入って、私の幼馴染から離れた時からでした。高校は遠くて、だれも私の家の事を良く知らない人たちばかりになった時から学校生活がやっと楽しくなりました。

 

ただし、幼い頃から負った精神的な疾患はなかなか治りませんでした。精神的なものは目に見えないので、人からはなかなか理解してもらえません。そして、いじめている方は大したことをしている気持ちがありません。遊びの延長なのです。いじめられた方はなかなか忘れられないもので、ついつい一人が気楽だ、一人が良いと思うようになりました。

 

私の場合は時間が解決してくれました。ただし、かなり長い時間がかかりました。人に理解してもらう難しさを思い知り、ついつい説明しても本当には分かってもらえない、と思うことがあります。

 

それは社会人になって会社の年配の同僚にいじめの事を話したら、『命の危険のないいじめはいじめの内に入らない』と言う言葉を聞いたときに、実感としていじめを本当に受けたことがない人に説明しても無駄だと思いました。父に言わせれば、私はとても弱い人間だそうで、『あの母親の子供に生まれたからには一生言われ続けるのだから強くならないと人に付け込まれるだけだ。世間は厳しいのだから』とよく言われました。

 

私はどの占いで見ても家庭で苦労する、と出るのです。手相でも、四柱推命やその他でもです。

 

まだまだ書きたいことはありますが、愚痴になるので止めます。

 

以上です。

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