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2022.06.14

星占い師の占いレポート 2022 ~コーヒータイム その24~ 介護

今回はちょっとコーヒータイムです。またかと言わず少しだけお付き合いください。

 

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今回は私が経験した家族の介護について書こうと思います。私は家族の介護のためにヘルパー2級の資格も取りました。

 

私が最初に介護したのは祖母でした。私の家は母がいないため、私が中心になって祖母の介護をしなければなりませんでした。薬の飲みすぎで、病院から帰ると自分一人ではトイレに行けず、私と同居家族、はっきり言えば父ですが、父と二人で交代で祖母のトイレに付き添いました。24時間です。ただし、二人だけでは3カ月も持ちませんでした。夜、祖母がトイレに行くときに、起こしたらしいのですが、すぐにはどちらも起きず、眠っていたので、祖母は自分一人だけでトイレに行ったのですが、そこで倒れて、足を骨折しました。叫び声で飛び起きた私と父はすぐに救急車を呼んで、そのまままた病院に入院しましたが、祖母が言うのには、『自分一人だけでも大丈夫だと思った』そうです。病院の医師の話ではもうかなりの高齢なので、2度と自分一人だけで立つことはできないだろうという話でした。そして老人にはよくある話で、若い頃と同じようにできると思っていたことが実際にはできない経験をしないと話で聞いただけでは納得しないそうです。祖母もそうでした。

 

病院は最長で3カ月しか置いてくれませんでした。家に連れて帰ると寝たきりになった祖母を父と私だけでは面倒を見ることが出来ないので、女性のヘルパーさん二人に通ってもらうようにケアマネジャーさんが手配してくれました。二人いないと女性の力では祖母を持ち上げることが出来ず、叔母たちも代わる代わる様子を見に来てくれました。それでも日々の食事にはかなり苦労しました。もう普通の食事が食べられず、柔らかいものにしなければならず、そして祖母は好き嫌いが多い人で、大変でした。それとヘルパーさんが若い女性の方なのでなかなか言う事を聞かないところがありました。少しでも運動機能を回復させるために若い理学療法士さんにも通ってもらいましたが、若い人にあれこれ言われるのが嫌なところがあり、理学療法士さんを他の人と変わってほしいと言い出しました。

 

今更ですが、ヘルパーさんはお手伝いさんではありません。介護対象者を中心に仕事をします。介護と関係がない仕事は給料に入りません。料理を作るのが何分で何点、掃除は何点、洗濯は何点と点数が決まっていて、その範囲でしか仕事が出来ません。それが祖母には理解できないところがあり、どうせ料理するなら他の家族の分も作ってもいいではないか、と言うところがあり、掃除もどうせ掃除をするのなら家の中をすべて掃除して欲しい、洗濯も他の家族のものも一緒に洗って欲しいと思っているところがありました。もちろんダメです。私と父は健常者ですから介護対象には入りません。家の掃除も介護対象者が普段使うところだけが範囲でそれ以外は対象にはなりませんし洗濯も私たちのものは対象外です。介護度で使える点数が決まっているので、それを超えることはできません。それと夜間は特別の料金や待遇が必要であり、なかなか夜間に来てもらうことが出来ませんでした。それも夜間でも1時間ぐらいしかいてもらえないので、来てもらってもずっと見守ってもらうことが出来ませんでした。

 

家で介護するのが無理だと思った私たちは施設に入れることにしました。施設は叔母のコネですんなり決まり、嫌がる祖母を説得して、私たちが代わる代わる様子を見に来ることで納得してもらいました。私が会いに行くたびに『いつ家に帰れるの?家に早く帰りたい』とよくごねて、私は『体がよくなれば…』と言って言葉を濁していました。家に帰るコールの後は、着るもののリクエストでこれは嫌、あれを探して、とよく言って色々な服をあっちこっち探して持っていきました。

 

そのうちに心臓病のために施設では面倒を見えなくなり、病院へ入院して、私が毎日食事の介護で通うようになりました。今度は食べ物が口に合わずあれが欲しい、これを買ってきて、とよく言われ、色々なものを持っていきましたが、心臓病には塩がダメなので、味の薄いものを選ぶと、祖母は今度は醤油を持ってこいと言いました。病院の先生に聞くと、もう高齢だし、治らない病気だから本人の好きなものを食べさせてもかまわない、とのことでした。それから3カ月もしない間に祖母の心臓はますます悪くなり、最後の方は夜も祖母の様子を見るために泊まり込んでいました。一人だけで『心臓が停止しそうだ』と言う病院のスタッフの声を聴くのは辛かったです。それから4日ぐらい病状が落ち着いていたので、私は昼間だけ様子を見に通い、夜は家で休んでいましたが、祖母は4日後の夜、丁度誰も来ていないときに亡くなりました。私と父があわてて病院に行ったときは顔に白い布が被せてありました。

 

死に顔はとてもきれいで眠っているようでした。最後は家に連れて帰り、お通夜を家でして、式場に連れて行きました。祖母のお葬式はかなり大勢の人たちが来て、コロナ禍の今では考えられないくらいの人数で送り出しました。

 

祖母の介護をしたのは1年ぐらいでした。その時に実感したのは介護は体力とお金と人数だと思いました。実際に一人の人を介護するのに3人は必要なのだそうです。人が足りなければお金を払ってでも雇わないといけません。政府が老後費用は1000万円はいる、2000万円はいる、と言っているのも納得でした。実際に祖母は1年間で介護や病院の費用が800万円はかかりました。世知辛い世の中ですが、それが現実です。

 

それでも祖母の場合は恵まれていました。父と私と叔母たちが代わる代わる面倒を見えたからです。そして女でした。これが男の場合はもっと大変なのです。

 

星占いでは、丁度、祖母の太陽に介護の星である海王星が支えに入り、火星、木星、土星が損なっている時に祖母は死亡しました。祖母が最後に考えていたのは父の事だろうと思います。月が父の星座に入っていました。祖母は最後まで息子である父の事が心配だったのかもしれませんね。

 

以上

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