(ねこの星占い)
ちまたにあふれている恋愛や結婚等の軟派な星占いではなく硬派な星占いをしています

占い前の質問はこちらから
お気軽にお問合せください
お問い合わせ

ブログ

2021.05.04

星占い師の占いレポート 2021 ~その51~ 山田方谷

さて今回は大型連休にもかかわらずどこにも行けない状況なので、NHKの大河ドラマの真田丸のオープニングにも使われた天空の城として有名な備中松山城(現在の岡山県高梁市、猫城主さんじゅーろーが有名)を持つ備中松山藩5万石の幕末の財政を改革した山田方谷を星占いで見てみようと思います。

 

山田方谷って誰?そんな人知らない。という人のために大雑把に説明すると、幕末の備中松山藩は負債を10万両抱えていました。今の金額にすると100億円以上になります。どうしてそんなに赤字が出たかと言えば、公には5万石と言っていた本当の石高は2万石にも満たないものでした。それなのにずっと5万石としてふるまっていたのです。そのため支出も多く積もり積もった赤字が10万両でした。もちろん破綻寸前なのに養子で藩主になった板倉勝静は血筋として徳川吉宗の子孫になるため、幕府の老中に抜擢されました。当然藩の財政事どころではありません。そこで自分の家庭教師だった儒学者の山田方谷に財政立て直しをゆだねたのです。

山田方谷は借金をしていた大坂商人に藩の実態を説明して、借金の返済期限を延ばしてもらい、大量に出したため何の価値もなくなった藩札を燃やして、新しい藩札を出し、兌換(正式価格で換金)するようにしました。もちろん藩内は上級武士も質素倹約してもらい、賄賂や接待を受けることを禁止しました。そして中間手数料のかかる大坂の商人を通さず米を売り、藩内で取れる砂鉄で鍬を作って江戸の藩屋敷で売り、他にもタバコや茶、和紙など特産品として開発して売りました。そのため8年で10万両の借金を返済して、10万両の貯蓄も出来ました。5万石ですが、実質は20万石と言われたほどです。ただし、山田方谷は先祖は武家でしたが、百姓身分から出世したため、かなり藩の家臣たちから反感を買っていましたが殿さまの板倉勝静からは絶大な信頼を得ていました。山田方谷の考え方は後に『義利合一論』として渋沢栄一などにも影響を与えています。以上、大雑把な説明でした。

 

山田方谷が生まれた日は文化2年2月21日なので、西暦に直すと1805年3月21日になります。牡羊座の太陽に選別のベスタが重なり、家庭や感情を表す月と木星、海王星が重なって支えていて、火星にも支えられているグランドトライン(幸運の大三角)の形になっています。太陽に選別のベスタが重なっているので、人を見る目がかなり厳しく、無意識に人や物事を選別していたのではないかと思います。木星と海王星の支えは海の関係に強く、かなり海運に対して運を持っていたと思います。また海や船が好きだったかもしれません。火星の支えは、鉄製品の強さと武器や軍の才能を表しています。この人はかなり軍事に明るかったのではないかと思います。土星と天王星が重なっているので、かなりの合理主義者だったと思います。ただし、キーロンが支えているので、土着的な信仰心があったのではないかと思います。

 

さて備中松山藩は板倉家が松山藩に入った日は延享元年3月1日なので西暦に直すと1744年4月13日になります。この日が山田方谷の仕えた備中松山藩の誕生日になります。

牡羊座の太陽に領民を表す月と火星が重なっています。もともと藩と領民は運命共同体だったと思います。そして、火星の重なりは鉄に縁がある藩だったと思います。パイオニア精神にあふれ、かなり血気盛んなところがあったのではないかと思います。家臣を表す場所には重圧と試練の土星が入り、家臣はかなり苦労が多く、厳しい状況だったと思います。その家臣が支えていたのが借入金の場所に入っている冥王星。借金の場所に借金の星が入っていれば、当たり前ですが当然かなりの借金が出来ます。そして見えないところに入っている金星を土星が損ない、バケツに穴の開いた状況でした。取引先やパートナーの場所に木星が入っているので、相手にはかなり無理をして、付き合いをしていたのではないかと思います。藩の土台を表す場所にはいい加減な海王星が入り、情報の水星と木星を損なっています。藩の内情についてかなりいい加減な情報が拡大していたのではないかと思います。山田方谷との相性は、山田方谷も牡羊座に太陽が入っているので、この藩とは運命共同体でした。この藩の外交の場所に合理的な土星と天王星が入り、かなり藩の外交を無駄を省いて合理的にしたと思います。そして藩の借入金の場所に方谷の海王星が入りますが、この海王星は木星と重なり、火星に支えられています。かなり投機的なところもありますが、積極的に投資して財務を赤字から黒字にしたと思います。ただし、山田方谷だけでは無理で、やはり殿様の板倉勝静の存在も大きかったと思います。殿さまの土星と木星が藩の稼ぐ財務の場所に入り、土星は水星、金星、火星、天王星と海王星に支えられ、木星は冥王星に支えられています。この殿様の冥王星と山田方谷の太陽が重なって木星に支えられているので、山田方谷にとっては殿様は絶対的な存在だったと思いますが、山田方谷が存分に能力を生かせたのはやはり殿様の絶対的な信頼があってこそだったと思います。殿さまからの恩恵が大きかったところがあります。それがなかったら山田方谷の改革もかなり中途半端なものになったのではないかと思います。良い上司に恵まれないといくら才能があっても出来ることには限度があるという見本のような星の位置です。

 

あくまでも星の位置だけのものです。

以上が星占い師としての私の意見です。

 

お知らせです。

ホームページをリニューアルしました。占いのご相談がある人はご利用ください。

個人の悩み事や相談事はもちろん、企業や国の事も占っています。気象(天気)の占いも追加しました。

有料で占っています。初回の方は半額です。ぜひご利用ください。

こちらです。ねこの星占いhttps://nco1227.jp/

元記事を読む...

コメント

コメントフォーム

 

カレンダー

«5月»
      1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31      

カテゴリーリスト

    フィード

    ブログ内検索

    ページの先頭へ戻る