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2021.01.11

星占い師の占いレポート 2021 ~その2~ 岩崎弥太郎

今回はいつもと趣向を変えて三菱の創業者である岩崎弥太郎を星占いで見てみようと思います。あくまでも星の位置だけで見ているので、実際とは違うところもあるかもしれません。

 

岩崎弥太郎が生まれた日は天保5年12月11日なので西暦に直すと1835年1月9日になります。山羊座の太陽に家庭や感情を表す牡牛座の月と選別のベスタが重なって支えに入っています。家庭や家族がこの人の支えであり、太陽も月も地の星座なので物質的なもの、一番分かりやすいものはお金ですが、そういった目に見える確かなものを求めやすい人だろうと思います。また、山羊座は社会的な星座なので、政治や企業の代表などとは縁がある星座です。ベスタの支えはこの人は自分にとって価値のあるものをかなり選別していたところがあります。土星と天王星そしてコネのドラゴン・ヘッドがグランドトライン(幸運の大三角)なのでかなり数字に強く、合理的で無駄の嫌いな人だったのではないかと思います。そしてそんなところを支持する人脈が大きかったのではないかと思います。ただし、太陽はトラブルの火星、重圧と試練の土星、大きな挫折を味わいやすい冥王星に損なわれています。対人トラブルが多く、苦労が多く、人生で大きな挫折を味わいやすい人だったと思います。ただし、感情を表す月は水星と火星に支えられているので、知識を求めやすく、かなり負けん気が強かったのではないかと思います。何事にもかなり積極的であり、軍事関係や武器にも進んで関わりやすいところがあったと思います。海を表す海王星は木星に支えられているので、海に関するものにかなりのツキを持っていました。余談ですが、坂本龍馬も同じ山羊座なのですが、彼は海王星が土星に損なわれているので、海や船に関してツキを持っていませんでした。だから海外に出ることが出来なかったのです。話を元に戻して、コミュニケーションを表す水星は火星と冥王星に損なわれているので、かなり人と話すとき言葉がきつくなりやすく、激高しやすい、短気なところがあったのではないかと思います。

 

さて三菱の最初は明治6年の3月に社名変更した三菱商会ですが、この商会の詳しい生年月日が分からないので、その後に郵便汽船三菱会社に社名変更するので、そちらの星の位置を見てみようと思います。

郵便汽船三菱会社に社名変更した日は明治8年(1875年)9月18日なので、乙女座の太陽に金星が重なり、冥王星に支えられています。冥王星の支えは身内会社になりやすく、代々続いていくものになりやすいところがあります。稼ぐ財務の場所には流通や交通、情報を表す水星が入り、土星と天王星に支えられています。土星の支えは安定した収入があり、天王星の支えはその当時のハイテクや電気に関するもの、高等技術などや先読みの情報がお金になりやすいところがあります。投機の場所に火星があるので、かなり積極的に投資をしていたのではないかと思います。火星は木星と海王星に支えられているので、流通や交通関係を拡大しやすく、海王星は外国の海に関するものを拡大しやすいところがあります。ただし、この会社の従業員を表す場所には土星が入り、天王星と冥王星に損なわれているので、雇用環境はかなり厳しく、今風に言えばブラックだったのではないかと思います。外国に行くのは命がけで、見えないところで状況の急変に遭いやすいところがあったのではないかと思います。ただし、見えないところの情報を集めるのは得意な会社だったと思います。弥太郎とは、弥太郎の木星と海王星がこの会社の太陽を支えているので、ズバリ海や船に関してかなりの支えを持ってきて、従業員にも海に強く情報を広く集めやすいものを選びやすいところがあったと思います。この会社の冥王星が弥太郎の太陽を支えているので、長く付き合うことになる会社だろうと思います。冥王星の意味は世代を超えてです。

 

さて弥太郎の三菱を重視した大隈重信ですが、弥太郎の太陽を大隈の木星が支えています。かなり三菱を拡大するのに力を貸してくれたと思います。ただし、最初はです。大隈の冥王星は弥太郎の太陽を損なっているので、最後には大きな挫折をもたらしやすい人なのです。弥太郎と三菱を警戒した井上馨は弥太郎と同じ山羊座の太陽を持っていますが、弥太郎の太陽に井上のトラブルの火星が重なり、木星と冥王星が損なっています。そして弥太郎の感情を表す月を井上の土星が損なっているので、弥太郎に運命的にも精神的にも大きなトラブルをもたらしやすく負担になりやすい人だったと思います。そして弥太郎の土星は井上の太陽を損なっているので、お互いに相手をかなり負担の大きい存在に思っていたと思います。

 

弥太郎は井上馨の支援する渋沢栄一の会社と激しいダンピング合戦をしている最中に亡くなりますが、渋沢栄一はまた次の機会に見てみようと思います。弥太郎が亡くなった日は明治18年2月7日の18時30分でした。

さて明治18年(1885年)2月7日18時30分(東京)を見てみると、弥太郎の月が海王星と重なって外国の場所にあり、弥太郎の木星が野心の冥王星と重なって、天頂にあります。死ぬ寸前まで、外国の海に野心があったのではないかと思います。まだこんなものではない。まだ広く世界に行く、といった野心的な思いがあったと思います。ただし、海王星は健康の場所に入っている火星と太陽に損なわれています。健康状態がその思いを許さなかったのだと思います。悔しかったと思います。けれども海王星と月が重なっているので、少し休みたい思いもあったと思います。少し一息つきたい。そう思った時が人生の終わりの時だったのではないかと思います。苦しかったのかもしれません。

 

以上が星占い師としての私の意見です。

あくまでも星の位置だけのものです。

 

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